会社沿革

創業までの道のりとエピソード

 創業者である関塚義本は、明治20年7月19日に現在の東京都青梅市に生まれる。明治40年ごろ実兄、源三郎氏が個人で船橋市内において荒物雑貨問屋「荒源(あらげん)商店」を開業。 その手伝いのため義本は船橋に移住する。

 昭和3年12月で「荒源商店」廃業。義本は実兄を頼って船橋に出てきたので、青梅に戻ることも考えたであろうが、“いまからもどって職を探すのもどうか?”と思案しているところへ、多くのお取引先様より“せっかく築いた商売の基盤と信用があるのだし、義本があとをやるのであれば今まで通り取引を継続してあげるから”と後押しされ、資金の準備もなく大変厳しい挑戦になったが、翌年の昭和4年2月にお取引様やお得意様の応援を得て「関塚義本商店」を開業、当初から多くの苦難を抱えながらの船出であったが、兄の手掛けた荒物雑貨問屋を結果的に引き継ぐことになる。

創業から現在に至る

昭和 4年 2月1日に千葉県船橋市宮本町で「関塚義本商店」個人営業で開業。{創業元年}
昭和27年 4月1日に「合資会社関塚義本商店」を設立、関塚千里が代表社員となり法人登記、営業を継承する。

昭和29年

花王石鹸株式会社(現:花王株式会社)の代理店となる。
昭和44年 10月1日に新法人「株式会社セキヅカ商事」を設立、「合資会社関塚義本商店」から卸の営業業務を移管して関塚千里が代表取締役に就任する。{現法人の設立元年となる}
昭和48年 第4次中東戦争の勃発により石油危機、モノ不足、買い占め・買いだめが発生、洗剤・ティッシュ・トイレットペーパー等のパニック騒動で大混乱、土地、建設資材の大幅上昇により卸団地の建設計画が大幅に遅れる。
昭和53年 創業50年の年に現在の船橋総合卸売商業団地進出、本店、営業拠点を高瀬町に移転。
昭和54年 安定した業績と透明性のある企業姿勢が認められ、10月に船橋税務署から「優良申告法人」として表敬されました。
昭和60年 コンピュータシステム本格導入。
昭和62年 オンライン、EOSシステム本格稼働、自社端末受注システム導入。
平成 7年 「棚パワー」棚割シュミレーションソフト導入、売り場の提案・変更等構築の精度向上と効率化を図る。
平成10年 ピッキングソフトおよび物流システム導入により、出荷スピードと納品精度の大幅向上を実現。
平成11年 社内LAN構築、ITネットワーク化推進、関塚弘行代表取締役に就任。
平成12年 スピード検品実施により納品時におけるご販売店様の検品コストを大幅削減。
平成13年 埼玉戸田物流センター稼働(平成18年に新設浦和センターに移管)
平成16年 高瀬町第二営業事務所、第二倉庫を確保・稼働。
平成17年 無線LAN環境構築、本格稼働し、社内・構内が無線でデータ連携可能になる。
平成18年 無線LAN対応物流システムおよび端末機導入、ホームページ開設。
平成20年 創業80年を迎える、高瀬町第三倉庫稼働、本社2階事務所大幅改装。
平成23年 船橋税務署より優良申告法人の再表敬を受ける。